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STORY
シニアディレクター
私の医師としてのキャリアの転機は、27歳の時、ジンバブエの人口約6万の農村の病院に勤務したことでした。その農村地帯の100キロ圏内に私以外の医者はおらず、そのため、内科、小児科、外科、婦人科、救急医療などの診療を一人で行い、病院の運営も行っていました。救急車の運転手が非番の時は、私が救急車を運転しました。
着任したのは比較的新しい病院だったのですが、まだ荷ほどきも終わっていない時に最初の救急患者がやってきました。帝王切開を要する妊婦でした。その妊婦を大きな病院へ連れて行く時間的余裕はなく、私は一刻も早く手術の手はずを整え、麻酔医と外科医の両方を一人でこなさなければなりませんでした。こうした状況にもかかわらず、なんとか母親と赤ん坊の命を救うことができました。
この時の事は忘れられません。私はもともと外科医を目指し、実際に外科の臨床実習を始めていたのですが、そこで私は自分が医者を志したそもそもの動機に立ち返りました。そして、首都での専門臨床実習を辞め、田舎の病院に移って人々に寄り添った診療をすることにしたのです。公衆衛生の現場では、一度に1人を助ける以上のことができると思ったからです。友人の多くは、私がおかしくなったのではないかと思ったようでした。当時は、農村から都市部に出ることが一般的で、私はそうした流れに逆行していたのです。
時が経ち、2013年にGHITが発足した時、私は国境なき医師団(MSF)に在籍しており東京にいました。当時のGHITのCEO、スリングスビーBT氏と話す機会があり、私は彼に次のように尋ねました。「(GHIT
Fundの支援を受けて)開発された製品をどうやって患者に届けるのですか。」その6年後、私は現在の仕事・ポジションの面接を受けていました。
私は資源に限りのある低所得国で育ち、そこで教育を受けました。その後、国境なき医師団の医師として、同じような課題を抱える多くの国々で仕事をしてきました。ケニヤ、ナイジェリア、南スーダン、パキスタン、マラウイ、パプアニューギニア、カンボジア、バングラデシュ、モザンビークなどです。国によって医療制度や医療ニーズは異なりますが、共通していることが1つあります。それは、自国の医療システムに対し圧倒的に高い疾病負荷があり、人々が基本的な医療(治療、予防接種、診断など)を十分に受けられていないということです。
医療システムに新しい技術を導入するのは容易ではありません。高度な医療機器を持ち込んでも、それを使いこなす医師や医療従事者がいなければ無駄になってしまいます。また、新技術を取り巻く法令の制定も簡単にいくとは限りません。技術を活かすためにはインフラが不可欠です。例えば、ワクチンは、コールドチェーン、つまり低温での輸送が必要で、電気が不安定な農村地域の一部では、届けられる範囲に限りがあります。遠隔地も含めて人々が確実に医療を受けられるようにするにはイノベーションが必要なのです。
私のGHITでの役割は、特に開発の後期段階にある製品開発パートナーと、世界の公衆衛生の現場をつなぎ、必要なものが必要な場所に届き、人々が必要な製品や技術にアクセスできるように支援することです。例えば、私たちは製品開発パートナーと価格面について協議し、低中所得国で製品が受け入れられるよう取り組んでいます。GHITでは、低中所得国への供給を目的とした製品の開発に投資しており、低価格であることが極めて重要なのです。また私たちは、製品開発パートナーが薬事承認取得に向けて必要な過程を踏んでいるかを確認しながら、必要に応じてサポートしています。さらに、そうした製品の潜在市場となる低中所得国への紹介なども行っています。
これら全てを行う上で重要なことは、製品が使用される背景や環境、つまり、どのような人々が使用するのか、現場でのニーズが何かということです。製品開発パートナー自身も、自分たちが開発した製品が現場で使用される際に、何を期待されているのかを把握していなければなりません。
GHITが成長していく中で、私たちはアクセス&デリバリー(製品供給)には投資していないものの、投資した製品を必要な人々に確実に届けるために、ある一定の役割を担っていると認識しています。GHITは、どれだけの製品が研究開発を通して生み出されたかだけでなく、どれだけの製品が、それを必要とする人々に実際に届いたか、という観点からも評価されるのだと思います。
私は2019年にGHITに参画して以来、住血吸虫症の治療薬小児用プラジカンテル、そして結核の迅速診断キットTBLAMという後期開発品に注力してきました。また、マイセトーマ治療薬のホスラブコナゾールのプロジェクトにも取り組んでいます。今後数年以内にこれらのうちの少なくとも2つの製品の薬事承認取得を目指していましたが、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大の影響を受けて、アフリカ等での臨床試験にも遅れが生じており、現時点では厳しい状況です。
GHITは製品開発パートナーが円滑に製品供給に移行し、人々が製品の恩恵を最大限に受けらるよう支援しています。価格設定に関する協議は、どんな製品開発パートナーとであっても苦労が伴います。これは、企業活動と公衆衛生のニーズとの間でバランスを取る必要があるからです。GHITが最重視するイノベーションを奨励しながら、公正性を保ち、必要な人々に製品が届くようにするための最善策を見出さなければならないのです。私たちが、日々解決を迫られる課題は多岐にわたります。「製品の適切な価格はいくらか」「価格を下げるためにできることは何か」「どの国で、どのように製品登録すべきか」「市場参入ポイントはどこで、最大のインパクトをもたらす市場参入サポートとは何か」「製造施設のキャパシティーはどれぐらいか」等々です。
また、価格はその製品の使用者数と切り離しては考えられません。認知度の低い新製品の場合であれば見込まれる使用者は限定され、それを元にすると初期価格は高く設定されてしまいます。一方、高価格の製品であれば誰も買ってくれないでしょう。そこで私たちは、製品開発パートナーや潜在的な製品使用国を含め、様々なステークホルダーが折り合いをつけられるポイントを探すのです。例えば、手頃な初期価格を切り札に、見込出資者との間で数量保証契約の締結を交渉することもできるでしょう。そうすることで、製品販売開始の際に低価格を実現するとともに、製品を製造する企業側の投資リスクを減らすこともできます。こうした交渉は容易なことではありませんが、やりがいのある仕事です。
製品を世の中に円滑に送り出すということは、GHITの仕事の中で私が特に意識していることです。先にお話した製品候補は、GHITにとっても初めてローンチできるかもしれない製品であり、展開が成功すればGHITのモデルの有効性が実証され、私たち自身も自分たちの活動に自信を持てるでしょう。私は、製品開発に関わる全ての人々に「皆様のおかげで製品を必要とする人々に届けることができました」と言える日が早く来てほしいと願っています。
私たちには、まだまだ学ぶべき事があります。最初の製品を世の中に送り出すことができた暁には、そこからさらに効果的な製品供給のあり方を学べるでしょう。私たちは、何百万という人々が使用する公衆衛生に不可欠な製品を生み出す道筋をつけたと言えるような存在になりたいと思っています。
多くの人はGHITのフルタイムの職員がわずか20人ほどであることをご存知ないかもしれません。私たち職員は普段裏方に徹していて、小さな組織ながら組織の規模以上の仕事をこなしているせいか、GHITは巨大な組織だと思われているようです。
私は多くの国のさまざまな組織で働いてきましたが、GHITはこれまで働いてきた中で最もやりがいのある職場です。職場の雰囲気やスタッフ間の協調、リラックスしていて、柔軟なワークスタイルのおかげで、毎日仕事をするのが楽しみです。上から押し付けられるのではなく「Togetherで、一緒に進めていく」のが仕事の流儀で、誰もが、自由に自分の意見を述べられます。全員がチームの一員として組織に貢献していますが、こういうことはほとんどの職場ではありません。
GHITは実に多彩なメンバーで構成されています。日本の組織ですが、同時に国際機関的でもあり、誰もが国際感覚に長けています。私は、チームの中で唯一日本人ではありませんが、よそ者のように感じたことはありません。ひとつには、私が国境なき医師団のミッションで日本を離れた期間はあるものの、2003年から日本に住んでいたことも助けになっているでしょう。日本文化に対する理解と、多少の日本語の知識があるため、順応するのに苦労はありませんでした。これは同僚たちにとっても同様でしょう。また、チームメンバーの多くが国際的で多様なワークカルチャーを経験しているため、互いに異なる考え方や価値観があっても自然に受け入れることができるのだと思います。
日本はグローバルへルスに多大な貢献を果たしてきました。他人に手を差し伸べることは日本文化の一部だと思います。私の友人は、日本が約60年前、UNICEFのような組織から援助を受ける側であったので、多くの日本人にとって恩を返すのは自然なことだと話してくれました。日本は歴史的に多くの公衆衛生の問題を経験してきました。かつては結核やハンセン病が流行し、水俣病など甚大な健康上の被害をもたらした公害もあり、さらに広島と長崎の原爆投下という被害も受けてきました。それにもかかわらず、日本は灰燼から立ち上がり、その経験を発展のために活かしてきました。今や、日本は技術のハブであり、自らのイノベーションを通じて、同じような難題を抱える他の国々を支援しているのです。
日本のグローバルへルスイニシアチブの多くは、JICA(独立行政法人国際協力機構)やJOVC(青年海外協力隊)を通じた二国間支援、もしくはグローバルな組織に対する多国間支援に集中しています。一般の人々には見えにくいかもしれない、そうした大きなレベル感の貢献を、GHITはより見える形で実行しています。私たちは、日本政府が掲げるグローバルヘルスの政策を踏まえて、それを具現化するのです。例えば、日本は国民皆保険制度(ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ:UHC)を推進してきましたが、UHCの中心的な特徴のひとつは、医療技術への自由なアクセスです。GHITは、日本において私たちが持っている技術に着目し、それを必要とする人々のところに届ける方法を探求しています。私たちは、研究開発のニーズ全てを解消することはできないかもしれませんが、大きな貢献を果たすことは可能です。GHITが投資を行っている小児用プラジカンテルは世界中の何千万という子どもたちの命を救うでしょう。迅速診断キットTBLAMは、何十万という結核罹患者の迅速な診断とそれによる早期の治療開始を可能にすることが期待されています。
戦後、中立の立場を取ってきた類まれな日本の歴史背景もまた、日本がグローバルへルスに貢献できる要因です。私が国境なき医師団の医師として働いていた時には、日本人のスタッフのみが、一定の国々に渡航できるということもありました。日本という国、そしてGHITという日本の組織は、他の国にはない形でグローバルヘルスに貢献できるのです。私は、日本が大小様々に実用的な形で、地球規模で貢献することができるということが何より好きなのです。
私のミッションのひとつでもありますが、GHITは今、設立後初めてジュネーブにプレゼンスを確立しつつあります。ジュネーブはグローバルヘルスの中心地で、グローバルヘルスに関与している組織なら、必ずこの地に一定のプレゼンスを有しています。そしてグローバルへルスの方向性に影響力のある出資者と政策担当者たちは、ここを拠点としています。ですから、GHITがグローバルレベルで、公衆衛生に実質的な貢献をしているということをこの地で周知していくのは戦略的に有効なのです。
最も重要なのは、国のレベルで私たちの貢献を周知することです。変化の風は、時に思わぬところから吹いてきますが、GHITにとっては現場で変化の風を実感することが重要です。たとえ、学習の機会程度にしかならないとしても、常にテーブルの場に着くということが肝要です。このジュネーブで、そうしたグローバルヘルスの潮流を感じ取りながら、グローバルヘルスの専門家や組織とネットワークを構築し、国レベルで何が起きているかを理解することで、GHITがニーズに応じたツールや技術を提供できる方向に進んでいけると思います。
シニアディレクター
1997年に母国ジンバブエにて、僻地医療の医師としてキャリアを開始。その後、国境なき医師団(MSF)に参画し、約10年間にわたって多くの国々で活動を行う。現場のフィールドドクターとして従事したのち、MSFのアジア太平洋地域にて、数々のプロジェクトマネジメントを担う。副プログラムマネージャーとして、東京オフィスにも3年間勤務。また、カンボジアでのC型肝炎治療、フィリピンでのHPVワクチン、そしてパプアニューギニアでの新規薬剤耐性結核治療の導入を支援。さらに、MSF Access to Medicinesキャンペーンの結核プログラムアドバイザーも務める。臨床医および公衆衛生の専門家としての20年以上の経験を活かし、2019年よりGHIT Fundにアクセス&デリバリー・シニアディレクターとして参画。ジンバブエ大学で医学および外科の学士号(MB、ChB)、英国のシェフィールド大学保健関連大学院で公衆衛生修士号(MPH)を取得。「医療技術を、必要とするすべての人々に。」が信念。
(所属・役職はインタビュー当時のものです)