Investment

ケーススタディ

疾病のインパクト


ケニアのムフル湾岸の村では、公衆衛生の危機が高まっています。ヴィクトリア湖のほとりに位置するこの村では、多くの村民が湖で漁業を行ったり、湖からの灌漑による農耕に携わったりして、湖水に依存した生活をしています。湖水は飲料水の水源であり、洗濯用水にもなり、子どもたちの遊び場ともなっています。しかし水中では、巻貝が寄生虫に感染し、その宿主となっています。寄生虫の幼虫は、巻貝から放出された後、淡水の中で最長48時間生存します。これが住血吸虫症と呼ばれる疾病の原因となっています。

8歳の少女マケナと3歳の弟キアノは週末に湖で泳いだり、近くの川の土手で遊んだりすることが大好きです。二人の母親であるウィニーは地元の市場で農産物を販売しています。ムフル湾岸の住人には知られていませんが、寄生虫が発生している湖の水に触れるだけで、住血吸虫症への感染リスクにさらされます。ある日、湖で泳いでいたマクナとキアノは、幼虫が自分たちの皮膚に入り込んだことに気づかずに、感染してしまいました。

感染から2ヶ月を経て、幼虫はマケナとキアノの体内で成虫へと成長しました。成虫は内臓へと移動し、卵を産みます。マケナはなかなか収まらない熱と咳のために学校を2週間欠席しました。病気になるまで、マケナは成績優秀でしたが、その後は苦戦するようになりました。キアノの具合も悪くなり、腹痛を訴えるようになると、ウィニーの心配はさらに募りました。結果的にウィニーは子どもたちの看護をするために家にいなくてはならなくなりました。

ムフル湾岸の多くの家庭では、同じような光景が繰り広げられていました。住血吸虫症に感染した子どもたちは数週間から数ヶ月を家で過ごし、認知発達障害、発育不全、栄養失調、貧血などの症候が見られました。家族の一部は、子どもたちの看病のために家にいることを余儀なくされ、残りの家族も家計を支えるために長時間労働をするようになりました。湖やその周辺で働く大人たちも住血吸虫症に感染し、腹痛、発熱、疲労、生殖器の痛み、発疹などの症候が確認されました。住血吸虫症への感染により、感染者一人当たり年間45日以上の労働日が失われると推定されています1

ウィニーは隣人たちから、同様の症状を患った子どもたちがいることを聞かされ、そして「巻貝熱」の発生についても耳にしました。マケナとキアノに診察を受けさせるため、ウィニーは地域の診療所へと子どもたちを急いで連れて行きました。幸いなことに、住血吸虫症感染が疑われた際は、簡単な尿検査で確認することができます。ウィニーの疑いは現実のものとなり、マケナとキアノは二人とも中等度の住血吸虫症の症状を発症していることが判明したのです。

住血吸虫症は、必要な薬を1-2回服用するだけで治療可能です。予防と治療の両方に対して使用される治療薬「プラジカンテル(PZQ)」は、1980年代から使用されています。マケナは幸運にも、学校での集団投薬プログラムを通じて、プラジカンテルを服用することになっています。薬を服用することでマケナは苦痛から解放され、学業に専念できるようになるはずです。マケナの学校で行われたような集団投薬プログラムは、住血吸虫症感染が多数疑われている地域で奨励されています。こういった集団投与プログラムの効果は証明されており、プログラムへの4ドルの投資ごとに、学校教育1年分のインパクトが得られることが明らかになっています2
_image_ 集団投薬自体の費用対効果に加えて、プラジカンテルによる住血吸虫症の治療は、医療システムにかかるコスト抑制につながります。プラジカンテルによる薬剤耐性の症例報告は確認されておらず、特別な医療訓練を受けることなく、地域のヘルスケアワーカーでの実施が可能です。また、現在使用されているプラジカンテルの錠剤は保存性に優れています。住血吸虫症の感染を制御するためには、治療へのアクセスは考慮すべき主要課題なのです。

目に見えない寄生虫の幼虫が住む小さな巻貝は、ムフル湾岸の小さなコミュニティに大きな影響を及ぼしています。しかし、この感染症がもたらす影響は一つや二つの村に限定されたものではありません。2013年には、1200万人のケニア人が住血吸虫症への感染リスクにさらされていると推定されており、その半数は子どもたちです3。その中で実際にプラジカンテルによる治療を受けたのはわずか180万人でした。サハラ砂漠以南のアフリカでは、住血吸虫症による死亡者数が年間20万人にのぼると推定されています4。全世界で住血吸虫症の感染者は2億4千万人と推定されており、そのうち治療を受けているのはわずか4200万人にとどまります4。住血吸虫症は、キアノやマケナのような患者がその他の感染症にかかるリスクも増大させます。たとえば、住血吸虫症により女性器に病変を生じた10代の少女や女性がHIVに感染する可能性は3倍になると推定されています5

小児に対するプラジカンテルの使用


  • 3歳のキアノは、マケナほど運に恵まれていませんでした。診断で明らかになっているにもかかわらず、キアノは住血吸虫症の治療を受けられません。キアノだけではありません。4歳以下の子どもの住血吸虫症有病率は高い(最高60%)のですが6、この年齢の子どもたち(乳幼児を含む)にプラジカンテルを使用することはできません。キアノのように幼くして住血吸虫症に感染すると、発育不全、認知機能障害、そしてその後の人生の健康リスクが増大します7

    小児向けのプラジカンテルを処方するにあたって、大きく三つの障害が存在します。(1)この年齢の子どもたちが市販の大きな錠剤を飲み込むことができない、(2)味が苦いため、プラジカンテル錠剤を粉々にしてジュースや水に溶かしても、吐き出してしまう割合が高い、(3)プラジカンテルの錠剤と比較し、錠剤を粉々にした懸濁液では治療効果が低下(治癒効果は最大20%低下)する8
  • 集団投薬プログラムのインパクト

    カンボジアでは、長期的な集団投薬プログラムによって二つの流行地域の全住民を対象に、75万ドルを投じて住血吸虫症の治療が実施され、住血吸虫症の有病率は77%から0.5%へと下がりました。その結果として、270万ドル相当(推定)の労働生産性の向上がもたらされました9

小児向けプラジカンテルの開発


  • 上記で述べたような小児向けの治療のギャップを埋めるため、官民連携による小児コンソーシアムが発足しました。GHIT Fundをはじめとするグローバルヘルス関連機関による資金提供を受け、コンソーシアムは次の二つの手法を用いて小児向け製剤開発に取り組んでいます。(1)飲み込みやすい、新しい錠剤の開発、(2)苦みが少なく、より効果の高い新規のプラジカンテルの化学構造(L-PZQ)に関する研究です。

    プラジカンテル錠の剤形を改善することによって、錠剤のサイズが市販サイズのおよそ1/4にまで縮小することができました。この新しい錠剤によって、生後3ヶ月の乳児の治療も可能となるかもしれません。新しい錠剤にとって重要なポイントである味の調整(マスキング)は、添加物の使用または新たな化学構造のプラジカンテル(L-PZQ)を用いることで可能になると期待されています。

    新しい小児用プラジカンテルは、小児の健康状態に大きなインパクトを与え、キアノのような子どもたちが長きにわたり活力ある人生を歩むことができる可能性をもたらします。就学前児童に見られる同様の寄生虫感染に関する研究では、感染した子どもたちの就学率が20%ほど低下し、その結果として成人後の賃金所得も40%減少することが示されています10。プラジカンテルによる治療を受ける就学前児童の数については、そもそも症例が診断されないままであることが多いため、正確な数字は明らかになっていません。しかし、WHOは、2012年におよそ1億1400万人の就学年齢児童がプラジカンテルの予防療法を必要としていたと報告しており、新しいプラジカンテルがもたらしうる大きなインパクトの可能性が示唆されています11
  • _image_

小児向けプラジカンテル – 導入に向けた課題

  • 小児向けのプラジカンテルの見通しが明るい一方で、その実現にはいくつかの課題があります:

    錠剤の安定性: 市販のプラジカンテルは極めて安定しており、特別な保存方法を必要としません。現在開発中の小児向けの小さい製剤は、口の中で早く溶けるように設計されており、湿度に敏感であるため、安定性に劣ります。特別な保存方法が必要になる場合、コストを上昇させるだけでなく、適切な設備が備わった都市部のみでの使用に限定されることにもなります。

    価格圧力: プラジカンテルは、製薬会社からの慈善寄付もあり、現在のところほとんどの政府系機関では7セント/錠という価格で入手可能です。小児向けプラジカンテルが効果を発揮するには、同じようなコスト効率で提供されなければならず、そのためには政府が購入するか、あるいは官民連携による資金提供が必要不可欠です。

    需要に見合った供給: 住血吸虫症の効率的な対策において、依然としてプラジカンテルの供給が大きな課題になっています。2012年にはおよそ2億5千万人が予防的プラジカンテル治療を必要とすると推定されていましたが、その供給量では、そのうち4500万人分しか満たすことができませんでした。したがって、小児向けプラジカンテルが広範に効果を発揮するには、世界的な需要に応えることの出来る製造体制に対する投資が求められます。

  • _image_ Photo Credit: Astellas Pharma Inc.
  • 1. Conteh L, Engels T, Molyneux D. Socioeconomic aspects of neglected tropical diseases. The Lancet. 2010;375(9710):239-247. doi:10.1016/S0140-6736(09)61422-7.
  • 2. Bitran R1, Martorell B, Escobar L, Munoz R, Glassman A. Controlling and Eliminating Neglected Diseases in Latin America and the Caribbean. Health Affairs. 2009;28(6): 1707-1719. doi:10.1377/hlthaff.28.6.1707.
  • 3. PCT databank. World Health Organization Website. http://www.who.int/neglected_diseases/preventive_chemotherapy/sch/en/. Accessed September 2014.
  • 4. Schistosomiasis. World Health Organization Website. http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs115/en/. Updated February 2014. Accessed September 2014.
  • 5. Kjetland, EF; Ndhlovu, PD, et al. Association between genital schistosomiasis and HIV in rural Zimbabwean women. AIDS. 2006;20(4):593-600. doi: 10.1097/01.aids.0000210614.45212.0a.
  • 6. Garba A et al. Schistosomiasis in infants and preschool-aged children: Infection in a single Schistosoma haematobium and a mixed S. haematobium-S. mansoni foci of Niger. Acta Tropica. 2010;115(3):212-219. doi: 10.1016/j.actatropica.2010.03.005.
  • 7. Stothard JR, Gabrielli AF. Schistosomiasis in African infants and preschool children: to treat or not to treat? Trends in Parasitology. 2007;23(3):83-86. http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17241815. Accessed November 10, 2014.
  • 8. World Health Organization. Report of a meeting to review the results of studies on the treatment of schistosomiasis in preschool-age children. Geneva: World Health Organization; 2011.
  • 9. Croce D, Porazzi E, Foglia E., et al. Cost-effectiveness of a successful schistosomiasis control programme in Cambodia (1995-2006). Acta Tropica 2010;113(3):279-84. doi: 10.1016/j.actatropica.2009.11.011.
  • 10. Bleakley H. Disease and Development: Evidence from Hookworm Eradication in the American South. The Quarterly Journal of Economics. 2007;122(1);73-117. doi: 10.1162/qjec.121.1.73.
  • 11. Schistosomiasis: number of people receiving preventive chemotherapy in 2012. Weekly epidemiological record. 2014;89(2): 21-28. http://www.who.int/wer/2014/wer8902.pdf?ua=1. Accessed November 10, 2014.